今も残る凶弾の痕 「オランダ建国の父」暗殺の地

オランダに来てしばらく経つが、実はヨーロッパの歴史は未だに理解できていなくて、この国の歴史についてもほとんど無知に等しい。

 

そんな状況を変えようと、出不精な私が力を振り絞って行ったのがこちら。

 

紹介 デルフトのプリンセンホフ博物館 - デルフトの博物館・美術館 - Holland.com

博物館ウェブサイト Home

 

何が興味深いかというと、この博物館は、オランダ建国の父といわれるオラニエ公が居城にしていた建物で、彼が暗殺された銃弾の痕がそのまま残されているのだ

 

っていうかオラニエ公って誰?オランダ建国に関する歴史

16世紀、スペイン=ハプスブルグ家の支配下にあったネーデルランド(現在のオランダやベルギー)では、プロテスタントの勢力が拡大し、それに伴いカトリック側の王政の弾圧が強まっていった。

いわゆる異端審問とかが行われた時代である。

このようなスペインの圧政に反発した市民は、1568年から独立戦争を始める

その時中心人物となったのが、民衆の味方、宗教に寛大だったオラニエ公(ヴィレム1世)だ。

ネーデルランド市民とオラニエ公は戦争に負けたり勝ったりしながら、粘り強くスペインと戦い、1581年にネーデルランド連邦共和国の独立宣言をする。

1584年にオラニエ公が暗殺された後も、1648年にウェストファリア条約が結ばれるまで、オランダの完全な独立への戦いは続いた。足掛け80年、オランダの独立戦争が80年戦争と呼ばれる所以である。

…と、世界史の苦手な私が自分なりに歴史をまとめてみた。間違いがあったら申し訳ない。

 

ちなみに若いときのオラニエ公はなかなかイケメンだ。画像はオラニエ公が20代のときの肖像画である。それと関係あるのか知らないが、彼は生涯で4度結婚している。


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オラニエ公暗殺

スペイン王政への反逆者として懸賞金をかけられていたオラニエ公は幾度も暗殺を仕掛けられ、ついに1584年7月10日、夕飯を食べ終わり階段を降りてきたオラニエ公は、カトリックのフランス人によって3発の弾丸を撃ち込まれて亡くなった。

 写真の壁には木枠で囲まれた2つの穴があるが、それが当時の弾痕である。横には暗殺に使われた銃も展示されている。

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博物館では、プロジェクターで暗殺シーンの影絵が映し出され、その時を想像できるようになっていた。

 

プリンセンホフ博物館について

 

博物館の半分はオラニエ公とオランダ建国の歴史について、もう半分ではデルフト焼の常設展や期間限定の中国陶器展をやっていた。展示内容が充実しているので、1時間半~2時間ほど時間をとってじっくり見たい博物館である

オーディオガイドがなくても英語の説明文があったが、文字が非常に小さかったのが玉に瑕だ。

 

建物自体もオラニエ公が居を構えていた時代からそのままで、なかなか趣がある。

2階から降りる階段はこんな感じだった。

 
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なお、博物館のチケットを見せると近くにある Stads-Koffyhuis (Oude Delft 133) か Bakker Suikerbuik (Hippolytusbuurt 24)のいずれかのカフェでコーヒーか紅茶が無料で飲めるらしい。地味に嬉しいサービスだ。